再構築の功罪『DEATH NOTE』

土曜の昼下がり、チネチッタの混雑具合に辟易しながら鑑賞、というより渦巻く評価の現場検証に。
原作は、週刊少年ジャンプの看板作品の1本だった同名コミック。死神から譲り受けた、名を書かれた者に死をもたらす「デスノート」なるノートを巡る骨肉の争いを描いたサスペンスの大傑作だ。私は(今んとこ)「2000年以降で5本の指に入るレベル」の傑作だと思う。美麗な筆致、畳み掛けるようなスピード感ある先が読めない展開、少年誌掲載作では異質と思えるほどのキャラクター造形、いずれ取っても傑出した作品では。ん、誉めすぎ?ま、とにかく連載開始直後からずっと各社の映像化権争奪戦状態だったのも「さもありなん」な作品だった訳です。…それが。
ネタバレはせん方が絶対良いタイプの作品なので、細かい内容については口をつぐむとしますが、本作は原作に忠実なようでいてさにあらず、「再構築したタイプの映画と理解した方が良い」一本か、と思った。『ハチクロ』の「再構築」は敢えて意図的に全く違うものを構築せむとしているのに対し、本作のそれはどちらかというと「なってもうたわい」であるかと思うが。もともと原作とは媒体も長さも違うわけだから、何らかの取捨選択が働くのは当然の話だが、再構築となると非常に繊細な話になってくる。原作に無いキャラクターや設定が出てきても、何らかの事象が起こっても、それが美しく作品を形作るためのマスターピースとなることも勿論ある。しかし本作のそれは「DEATH NOTE」という原作を映像に落とし込むに必要十分条件的マスターピースと言えるのか?
ちょうどこれを観る前日、D社S氏と飲んでいた際、本作ほかブロックバスターな数本の映画について話していたのだけど、その時のS氏の「せっかく映画を観るようになった若い子に、これが『当たる面白い映画』のスタンダードだと思われたくない」という言葉を思い出してしまった。
今日は百数十分にわたる壮大な予告編を観た心地なので、とりあえず後編を観るまでは採点留保にしますが、きっと皆がこの感想を忘れた頃にそっと★を一つ点灯させるんじゃないか…とまあそんな風に思います。