創作は、どこから来て、どこへ行くのか?『書く女』

 先日、山口に行った。観光目的かというと、そうではない。勿論観光もしたのだが。物凄い勢いでしたのだが。理由は観劇だ。出演している飲み友達から「miz_akさんに観て貰った公演開始直後の舞台と、ガラリと変わって来てて面白いよ」と連絡が来たからというのもあるが、東京から山口へ赴いて観劇。我ながら痺れるね。・・・どないやねん。今日はそのお話を。既に千秋楽を迎えた作品なので、ネタバレをしています。ご容赦を。
***
 主人公は樋口一葉*1。文壇を目指す19歳の彼女が東京朝日新聞記者兼専属作家の半井桃水(なからい・とうすい)を紹介されるくだりから、物語は始まる。
 一葉を演じるのは寺島しのぶ、そして、彼女の秘めたる恋の相手・桃水を演じるのは筒井道隆。作・演出は、「歌わせたい男たち」で朝日舞台芸術賞グランプリを受賞した、二兎社の永井愛。一葉の日記を元に、一葉が家族や歌塾「荻の舎」の友人達、文壇の男性陣と共に日々を過ごし、数え年25歳で亡くなるまでを描いたものだ。
 本作の脚本は非常に練られた、台詞の重なり一つ一つが美しいものだ。その作中で、印象的なセリフが数度、繰り返し投げかけられる。それが、桃水が一葉に向けた「あと30分、いや、あと20分、15分で良いから」というものだ。
「私(桃水)はあなた(一葉)の女友達、あなたは私の男友達として有りましょう。そうすれば、気を使うことはあるまい」という言葉を桃水が一葉になげかけて、師弟関係を紡ぎ始める二人。だが、いつしかその関係は微妙に変容していく。戸主である二人の恋は、この時代では道ならぬ恋*2。一葉は「あと30分、いや・・・」と引き止める桃水を振り切り彼の庵を辞去するのだが、その分ますます密かに心が募り、例えば雪の日の帰り道に思ったことを己の著作『雪の日』に書き記しなどしてしまう。彼女の云う「厭ふ恋」である。
 私の記憶が確かならば、この台詞は作中で3度出てくる*3のだが、この台詞は3回目に出てきた時には音楽で云うところの「変調」的な変化を見せる。1、2度目の台詞は「桃水が一葉という女性をこの場に引き止めんとする言葉」なのだが、3度目のそれは、まさに死なむとする一葉を“心象風景”の中の桃水の幻影が「この世に引きとめようとして云う言葉」なのだ。だが、このとき何と一葉は桃水の存在自体を“覚えてすらいない”。そして彼の引き止めも空しくこの世を去るのである。何故一葉の心はそれほどまでに離れてしまったのか?一葉が物語として書き留めていたのは何だったのか?彼女の創作の源は何だったのか?そして、そんな彼女を本当に理解していたのは誰だったのか?厭う恋の果ては、彼女が捨てて・捨てて・捨て去った“もの”はどこへ消えたのか?ラストで語られるそれが、この作品のテーマだ。
 話は少々変わるが、先日弊社OBの日記で面白いメモを発見した。脳科学者の●木健一郎のブログから抜いたと思われるもので、「魂に暗黒面がないと、想像のエネルギーが生まれない」が「ダークサイドはそのまま現れるのではダメで、ポジティブに変換されて初めて当人にも世の中にも恵みを齎す」というもの。確かにそんな側面はあるよね、と思う。そして「どんなに人生で苦労をしても、皺だらけの顔に笑みを浮かべている」生き方・創造の仕方というものに、感銘すら覚えてしまった。
 さて話を元に戻そう。一葉という人は、借金に借金を重ねて困窮し、肺結核に倒れるという苦難の人生を歩んだ女性だ。その女性が、当時の人々の生活を生き生きとした形で切り取り描き、今も語り継がれる文学へと紡ぐ*4。それらの作品には彼女の本質、彼女の持つダークサイドが密やかに埋め込まれている*5。それに自ら気付きかつ死期を悟った一葉の、ラストシーンの一言が胸に刺さる*6
 「さあ、次は何を書こうか?」。
 たとえ死を迎える結果となろうと、あくなき探究とあくなき表現に向けて倒れる。このような生き方をしたいものだ、と切に願う。

*1:五千円札に載っている、あの女性。最も有名な作品は「たけくらべ」。明治時代中期を駆け抜けるように生きて、若くして結核に倒れこの世を去った女流作家です。

*2:明治時代の、家=戸主と家族から成り立つものであるとする「家制度」では、戸主同士の結婚は許されていなかった。一葉は、父や兄を相次いで亡くし、16歳の時に戸主となり、一家の大黒柱として働かねばならない宿命を負っている。また、桃水も戸主であるため、この二人は結婚が不可能だったのだ。

*3:かなり「うろ」

*4:特に死ぬまでの14ヶ月は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれ、彼女の“傑作”の多くはこの時期に残したものだといわれる。

*5:これを理解したのは桃水ではなく斎藤緑雨だったという。作中で一葉が緑雨に向けた、「私は貴方を千年の友のように思う」という台詞も、非常に好きだ。

*6:これをああいう演技で語る寺島しのぶにも震えた。