川口でボレロに涙する

「似合わねぇ!」の声もあるだろうが、私は時々バレエを観に行く。古典もコンテンポラリーも行く。中でもギエムは大好きだ。ギエムとは何ぞや?不世出とまで云われる女性ダンサー、シルヴィ・ギエムのことだ。その超絶テクニックと足が垂直に180度"後ろに"上げられる卓越した身体能力から、当代随一との呼び声も高い。得意演目は数々有るが、中でも評価が高いのが「ボレロ」。
ボレロ」は、あのラヴェルの「ボレロ」にモーリス・ベジャールが振り付けをした演目で、踊るダンサーも演じる劇団もベジャールにより制限されている。もともとは女性ダンサーに振り付けられた演目だが、有名なのは『愛と哀しみのボレロ』という映画にも出ているジョルジュ・ドンのボレロだろう。所用時間は約15分。16小節(←適当)程度の主題が、淡々と、しかし段々と盛り上がるように積み上げられる、一見単調な演目だ。舞台には中央に真っ赤な丸盆状の台、そして椅子がしつらえられ、盆上で一人のダンサーが「メロディ」として主題的&唯独的*1働きをし、椅子に座った状態の20余人ほどの「リズム」が次第に立ち上がり人数を増加させながら「メロディ」を取り巻きゆき、伴奏的&画一的役割を果たしていく。ストーリーというものは潜在しなく、単にラヴェルの音楽を集団芸術として体現しているのみだとする向きもあるが、本作を『「メロディ」が異性である「リズム」を魅了していく様を描いているもの』とする解釈や『異教の神が司る儀式である』とする解釈などがあり、特に「メロディ」を女性が演じた場合は前者の色が強いようにも思う。「メロディ」を女性&「リズム」を男性が演じるパターン以外に、その逆、またいずれも男性、といったパターンがあるようだ。
私はシルヴィ・ギエムのものを過去に1回鑑賞。あまりの衝撃に、バレエで初めて涙し、「瞬間芸術だけは、食いつめてもライブで観るべきだ」と心底思った。その時の衝撃についてはまた別の機会に語るとして、とにかくそれで「ボレロ」に魅せられた私は、昨年、東京バレエ団首藤康之が「ボレロ」を踊った時にも平日の夕方に無理矢理観に行ったりなどもした。それで今年。あのシルヴィ・ギエムが日本での「ボレロ」公演を今後凍結するつもりらしく、『最後のボレロ』と銘打った作品が全国行脚で興行されることになった*2。私はあの「奇跡の響演」の感動をもう一度網膜に焼き付けむとて足を運ぶことにした。今回は川口、リリアホールへ。バレエ鑑賞後に1本映画を観たかったため車で川口をめざしたのがアダになり、遅刻。1作目の「ギリシャの踊り」の頭15分を見逃した*3。痛恨。
その後2本を挿んで、「ボレロ」。ちなみに入った時、会場に行って「あやー」と思ったのが音楽。今回はテープ演奏だったのだ。テープとオケは臨場感がまるで違うので、正直ガックリ。しかし驚愕。ギエムはそんなもん関係がないほど圧倒的だった。暗がりに映える腕の動き、幾何学的な動きなのに、徐々にボルテージを上げしまいには「この人壊れるんじゃなかろうか」と思うほど激しくなる身体表現。ラスト16小節の爆発力たるや!終わって一瞬会場の明かりがすべて落ちた瞬間、場内は大喝采。私も総毛立ち、舞台が滲んだ。やはりギエムは凄い。本当のものは状況を選ばず常に人を感動させることができるのだ、と思う土曜日だった。
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*1:造語ざんす

*2:ギエムが飽きたとか身体能力的・表現上の要因じゃなくて、商業的なものを多分に感じるのだけど

*3:ボレロ」など「現代劇的演目」は、実はそんなに1本1本の尺は長くない。ゆえに3〜4本の小品を小休止を交えながら演じる公演形式となる。